アドラー思想を生きる アドラーの教え

 このページでは、岸見一郎先生を通して語られるアドラーの教えを、僕がどう解釈したかをまとめてみたいと思います。

1:人はどこまでも自由である

 人は、自分で、どのような生き方でも選ぶことができます。その意味で人は限りなく自由です。
 たとえば仕事。
 仕事を「苦役」と考え、「嫌だ嫌だ」と文句を言いながらやることも自由です。
「自分は、この仕事を通して世の中に貢献できるのだ」と考え、喜びの中で仕事をやるのも自由です。

 僕自身、塾の先生や、投資アドバイザーの仕事を自営でやってきましたが、常に仕事に苦しさ、つらさを感じていました。
 たとえば、塾の仕事では「塾生を志望校に合格させなければならない」と過剰な責任を感じていましたし、そのあとに始めた投資アドバイザーの仕事も同じで「お客さんが利益を上げられるように」と、やはり過剰な責任を感じながら必死になっていました。そんな緊張感の中、僕はいつも苦しみながら仕事をしていたのです。

 それでも僕はがんばっていましたが、2011年3月11日の震災をきっかけに、とうとう「仕事を続けられない」と感じるようになり、いったん自分の会社を売りに出しました。(この「会社売却プラン」は結局うまく行きませんでした。)
 僕は、震災で被災したわけではありません。
「多くの方が震災で苦しんでいるのに、投資で儲けるなどという発想自体が許されない」というのが、僕の感覚でした。
 まあ、今思えば、明らかに過剰反応だったと言えるでしょう。

 アドラー思想に出会って、僕の仕事に対する、こうした「自己処罰的」な感覚やそこから派生する「苦しみながら仕事をやるスタイル」は、自分で選んでいたものだと知りました。
 心の内に秘められた自分自身の「目的」を達成するために、僕が自分の意思で選んでいたものであったということを。
 同時に、こうした従来の感覚を捨てて、まったく新しい感覚で生活し、新しい感覚で働くライフスタイルを選び直せることも知りました。

「選び直せるのなら」と、僕はまず、仕事に対する従来の考え方を「やめる」ことを決意しました。
 また、仕事に限らず、すべての場面で自分が「自己処罰的」な感覚に支配されていたことも自覚し、ついでにこれも「やめる」ことにしました。

 その結果「もう無理だ」と思っていた投資アドバイザーの仕事が、僕の中でなんと「喜び」に変わったのです。
 今(2014年8月)も僕は、投資アドバイザーの仕事を続けています。
 もちろん厳しい仕事ですが、日々「喜び」の中で仕事ができています。

 つまり、僕は「喜びの中で仕事をするライフスタイル」を選んだのです。
 僕だけではなく、誰もが、自分のライフスタイルを自分で選び、決めることができます。
 人は、いったん選んだ従来のライフスタイルをやめて、今日、今から、違うライフスタイルを選び直し、新しい人生を生きることができます。
 人はその自由と、ライフスタイルを選び直す能力を持っているのです。

 我々には、かぎりない自由が与えられています。
 人間は過去にも環境にも支配されず、自分の生き方の傾向や、思考パターンの癖を、自らの意思で自由に変えることができる存在なのです。
 この意味で、人はどこまでも自由です。
 このことに気づくことのできた人は幸福です。

2:人は「目的」を達成するために感情を「捏造」する

 前段(1:人はどこまでも自由である)で僕は、
「自己処罰的な感覚で生きることや、苦しみながら仕事をするスタイルは、僕が自らの目的を達成するために選んだものだった」と書きました。
 ここはアドラー思想に流れる「目的論」を理解しない人には大きな疑問でしょう。

 僕は「自分の仕事が辛い」と感じていましたが、そこには、
「仕事と向き合うことを回避したい」という目的があったのです。
 僕の目的の理由は多重構造になっており、かなり複雑なので説明を省きますが、とにかく、「仕事と向き合うことを回避したい」という自分の目的を達成するために、僕は常に、
「僕の仕事は特別なんだ。特別に苦しいんだ。特別に辛いんだ」という感情を作り出して、その感情に中に浸るようにしていたのです。
 まあ、そういうライフスタイルを選んでいた、ということになります。
 僕は、いつも苦しそうな、辛そうな顔をして、ことあるごとに周囲に「苦しい」「辛い」と訴えていました。不満をバクハツさせて怒ったりすることもありました。

 こうした怒りにせよ「鬱(うつ)」っぽい感覚にせよ、それはつまり、
「オレはこんなに辛くて苦しいから、仕事に向き合えないんだ」という「言い訳」をするために、自分が作り出したものだったのです。
 まあ、つまり、僕は「役者」だったわけですね。(笑)

 で、この「辛くて苦しい人生を歩んでいる僕」という「役」なんですが、やっていてちっとも面白くないわけですよ。
 周りの人(僕の場合、特に妻)もいい迷惑なだけで、何のメリットもないし建設的でもありません。
 だから「やめた」わけですが、自分自身が「僕は自分の目的のために感情を捏造していたんだ」ということに気づき、そのことを実感したことが「やめる」強い動機となりました。

3:一般的な人生に意味はない

 アドラー思想の中で、僕が特に好きなのがこの言葉です。
 この言葉に出会ってから、僕は心底リラックスできるようになりました。

 詳しくは、本サイトのこの本を読もうをお読みください。